貞操研究所

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Ancient / Early

古代・初期の貞操帯

この時代の貞操帯をたどると、器具の話はほとんど出てきません。 残っているのは、徳を語る言葉、一枚の図、笑い話、そしてずっと後の時代に作られた品物です。 ここではその四つを順に見ていきます。

帯は、まず徳のしるしだった

中世のラテン語には cingulum castitatis(貞潔の帯)という言い回しがあります。 グレゴリウス1世、アルクィン、クレルヴォーのベルナルドゥスらの文章に出てくるが、 どれも心の在り方をたとえた言葉で、腰に締める金具を指してはいません。 聖職者が祭服の上に締める紐の帯も、古くから貞潔を表すものとされてきました。

帯そのものを拝む信仰もありました。イタリアのプラート大聖堂には、 聖母マリアが昇天の折に使徒トマスへ落としたと伝わる帯「サクラ・チントラ」が祀られています。 13世紀には町にあったことが記録に残り、1395年に専用の礼拝堂へ移されました。いまも年に5回、人々の前に出されます。

恋の物語でも、帯は錠の役を負います。12世紀のマリー・ド・フランスの短い物語詩『ギジュマール』では、 引き裂かれる恋人どうしが互いに封をします。女は男の肌着の裾に、自分にしか解けない結び目を作ります。 男は女の腰に、自分にしか外せない帯を締めます。それを解ける者が現れるまで、ふたりは誰のものにもなりません。 ここで封をしているのは鉄ではなく、約束です。

フィレンツェの「鉄の下穿き」

器具として描かれた最初の例は、1405年ごろのコンラート・キーザー『ベリフォルティス』にあります。 プラハを追われた技術者キーザーが、ドイツ王ループレヒトに捧げた軍事技術の図解書で、 投石機や攻城槌、大砲、拷問具の図が並びます。その中に一枚、腰に着ける鉄の枠が描かれ、 Est florentinarum hoc bracile dominarum(これぞフィレンツェの御婦人方の下穿き)と添えられています。

戦の道具の並びに、遠いイタリアの女たちの下着が紛れ込んでいます。この置き方からして記録ではなくからかいだ、と読む研究者が多くいます。 この図を本物の器具の証拠として扱った20世紀の研究家エリック・ディングウォールでさえ、描かれた貞操帯は不格好で重そうだと書いています。 図を裏づける文書も現物も、見つかっていません。

笑い話の小道具

16世紀に入ると、貞操帯は版画や物語にたびたび顔を出します。ただし、その多くは嫉妬深い夫を笑うためのものです。 ドイツの木版画には、貞操帯の鍵とは別に合鍵を手にした若い男が描かれます。 セバルト・ベーハムに帰される銅版画では、貞操帯を着けた女が二人の男から金を受け取っていて、こちらは売春への皮肉と読まれています。 フランスでは、ラブレー、ブラントーム、のちにはヴォルテールが、鍵をせしめる妻と出し抜かれる夫を書きました。

一方で、説教集や贖罪規定書、教訓書、法の記録といった堅い文書には、貞操帯は出てきません。 笑いの中にだけ居場所があった器具、と言ってよいでしょう。

博物館に並んだ「中世」

パリのクリュニー美術館には、カトリーヌ・ド・メディシスの持ち物と伝わる鉄の貞操帯がありました。 1990年の調べで19世紀の作と判り、大英博物館の一点も1840年代の品と見直されて展示から外されました。 ニュルンベルクのゲルマン国立博物館の品も含め、各地で「中世の貞操帯」とされてきたものの多くは、いまでは19世紀の制作と考えられています。

十字軍に発つ騎士が妻に貞操帯を締め、鍵を持って旅立ちます。おなじみのこの話が広まったのも、19世紀の中世趣味のなかでのことです。

参考にした資料

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